皆様こんにちは。

数年前の事。

従姉のTちゃんとの会話です。

Tちゃん 「子供の頃さ、お母さんが言うててん。兵庫のしぃちゃんたちは、学校から帰って塾に行って、また勉強しとるとよ。あんたたちも少しは見習いなさい!って。それ聞いてさ、え~!学校から帰ってもまた勉強しとるん?!って、びっくりしたんよ」

史津香 「え?マジ? うちは母さんが、宮崎のTちゃんたちは学校がものすごく遠くて、朝七時には家を出て一時間以上も歩いて毎日学校行ってるのよ。偉いねぇ。あんたたちは学校が目の前でしょ。幸せやと思いなさい!って、言われてたで!」

Tちゃん&史津香、一瞬沈黙。

そして爆笑。

立場によって見方は変わるもの。

どっちの母親の言うことも、決して間違っていないし、確かに言う通りだろう。

Tちゃん、史津香ともに異論はない。

でも、何でしょう……。

大人たちに上手くしてやられた感が否めない、Tちゃんと史津香でした(笑)

昨年から、コロナ差別や苛めはあちこちで問題になっていましたが、それ以前にコロナ騒動が起こってすぐそうなることは予想できていましたよね。

ワクチン開発に世界の大手製薬会社が血眼になることも予想できていましたし、それと同時にワクチン差別も起こるだろうと、予想できていました。

ワクチンパスポートや接種証明書、陰性証明書など、そういう発想が差別そのものであるということが、何故分からないのでしょう。

自分が安心するために他を悪にして、差別の種を正義であると錯覚していることの恐ろしさに気付けないとしたら、本当に残念極まりないことです。

こうした時代こそ、

人としての本質や品が問われています。

みんな一度、

「今の自分と親友になりたいか」

自問してみればいいんじゃないでしょうか。

何て美しいのだろう。

何て美しいのだろう。

毎日少しずつ、

虹のように変わってゆく。

こんもりとした青紫の毬は、

私の視線を捕らえて離さない。

大雨さえものともせず、

それどころか存分に梅雨を味方に付け、
力強く大きく開く。

色も形も、宇宙だ。

繁る葉の緑は濃く、張りのあるその上に蛙が一心地つきに来る。

人生は雨のち晴れ。

やまない雨はない。

でも、

身に浴びた雨こそが最高の恵みであり、

その道を豊かにする。

私が殊の外この花が好きなのは、

平坦ではない人生や世の中で人が如何にあるべきかを見せてくれているような気がするから。

萎れて嘆いて朽ちていくだけじゃ、

誰も喜ばない。

私は、

雨を味方に堂々と咲き誇り、

こんなにも豊かな気持ちにさせてくれる、

紫陽花のような人でありたい。

©️史津香

先日のこと。

とあるテレビ番組でフェミニスト達が議論を交わしていて、彼と二人で見るとはなしに流していました。

ちなみに私も彼も、所謂フェミニストとされる人達とはかなり遠い価値観の持ち主です。

史津香

「あのさぁ、この世の中にどんだけレディースデーとかレディースセットみたいなもんがあると思う? 

それを女は当たり前みたいに受け取ってるやん。

世の男の人達でそれに文句言うた人、見たことある? 無いやろ? 

もし逆やってみ? こいつら(フェミニスト)、黙ってへんやろ。

女が何となく特別扱いされてても男の人が文句言わんのは、男の人の生まれもった器やねんで。

男の人達の懐の深さにちゃんと守られて、じゅうぶん《姫扱い》してもろとるっちゅうことを、女はわかっとかなあかんし、感謝せなあかんでほんま」

彼 (ほんの少し笑みを見せて)

「あんなぁ、男が女に勝てるわけないやろ。誰から産まれた思てんねん。

全員、女から産まれとんねんぞ。

しかも腹ん中じゃ最初は全員女で、途中で男になる奴がおるだけらしいやんけ。

そんなもん、はなから女に勝てるかぁ(笑)」

40年以上勝負の世界で生きている彼から、まさかの「勝てるわけない」という言葉を聞いて心底驚きました。

そしてこの会話で、互いに対極の存在(男·女)に対する畏敬の念を持っていることが分かりました。

男女、それぞれに言い分はあると思います。

でも、天はわざわざこの相反する存在を創りました。

それはきっと、自分とは正反対の存在を受け容れ、心を一つにすることで《統合の喜び》というギフトを受け取れるチャンスを授けたのではないかと思います。

分離しているのは肉体だけで、いつでも私たちは《一つ》になれることに氣付けば、全ての争いはなくせるはずだと改めて感じています。